YashicaFlex

鳩の系譜 - Pigeon Flex / Yashima の血族 -


YashicaFlexについて話をするのにはヤシカ - 八洲光学工業株式会社(やしまこうがくこうぎょう) -の勃興について触れなければならないだろう

 

八洲光学工業株式会社は1949年12月創業のメーカーで当初は電機時計の製造を目途としていたようだ

その後、エンドー写真用品株式会社からカメラのOEMを受託する

そのエンドー写真用品株式会社が使用していたブランドが「Pigeon」「ピジョン」である

当時はメーカーではなく販社が市場で幅を効かせていて販社ブランドのカメラ、レンズが多数存在したようだ

折しも二眼レフブームが興っていて戦後復興期と云うこともあり多数のカメラメーカーが設立されたと云われている、俗に「二眼レフのブランドの頭文字がA-Zまで全てあった」と云われ一説によればおよそ60社あったとされる

 

そのエンドー写真用品株式会社から1953年6月に発売されたのが「PigeonFlex」であり、製造委託先は3社あったとされる

その1社が八洲光学工業株式会社であり、「PigeonFlex」に搭載されたレンズが富岡光学器械製造所製のレンズであった

なお、この1953年に八洲光学工業株式会社は八洲光学精機株式会社と改名している(以下ヤシカ)


前置きが長くなったがこの「PigeonFlex」はエンドー写真用品株式会社が販売していたがヤシカは同一設計の銘板だけが異なる「YashimaFlex」を同年販売している

この後、基本設計を大きくは変えずに「YashicaFlex B」をやはり同じ1953年に販売開始している

「YashimaFlex」は1954年まで販売されていたようなので「YashicaFlex B」と併売されていたと思われる

※YashicaFlexはA、B、C型やその改良型など多くのバリエーションが派生しているがB型がA型より先行して販売されているのは興味深い

さて少なくても1956年には「USカメラ」※詳細は不明 にアメリカと思われる海外雑誌(書籍?)にYashica Cの記事が掲載されていることが分かった

Yashica BもAも海外で販売されていることが確認できるが1953年販売開始の、創業間もないメーカーが海外で販路を確立しているのは大変なことであったろうと想像できる

拠点としてニューヨーク出張所の存在が少なくても1956年7月には確認できる

また、記事中にアメリカ、イタリヤオランダ、ベルギー、スエーデン、南アメリカのユーザーがヤシカ製カメラで撮影した写真が掲載されている

※出典:冊子「ヤシカが贈る あなたの夢 No.2」1956年7月5日発行、「ヤシカが贈る あなたの夢 No.3」1957年5月20日発行

また、別の冊子では「世界に二眼レフを決定づけたヤシカフレックス!」と題し

ヤシカフレックスは、いまや世界のカメラ界に揺るぎない王座を占めるカメラです。

シャープな機構と流麗なデザイン、大衆のための驚異的な価格と完璧なアフターサービス等々によって、国内はもちろん、世界六十数ヶ国の人々に愛され親しまれ、絶対の信用を得ています。

と1頁を割いてヤシカ製二眼レフの優秀さを説いています。

なお次の頁では「世界70カ国に輸出されているヤシカ」と誇らしげに喧伝している

※出典:冊子「ヤシカ製品御案内」発行年不明だがおそらく1958年発行

    「二眼レフを世界に決定づけたヤシカ ’58新製品」と云う頁が用意さている、また写真コンテストの実施について

    「明年にはまた新しい構想の元に大々的に実施する予定でございます」との記述が有るので年末に近い発行であった

    のではないかと推察している

規模拡大の面から見ると

1959年にニッカカメラ、ズノー工業を買収し、1968年には長年レンズ供給で協業していた富岡光学器械製造所を子会社とする

この大躍進を支えたのは二眼レフカメラでありYashicaFlexつまりPigeonFlexの系譜である

この成功を受け、早晩需要が無くなる二眼レフだがヤシカは1970年代まで製品を供給し続けた

なお、ヤシカは二眼レフに革新的な技術の組み込みを行わず保守的な設計を続ける

後に二眼レフは60とも云われた国内メーカーがMinolta、Yashica、Mamiyaの3ブランドに収斂する

それ程までに二眼レフで成功したヤシカだが、経理問題など様々な問題に起因し1975年に経営破綻してしまう

以後、ヤシカは京セラの経営支援を受けコンタックスブランドで高級路線をヤシカブランドで低価格路線および海外展開を進めるが1983年には京セラに吸収合併される

2007年に京セラはカメラ事業から撤退するがヤシカブランドは商標権が売却され今もなお製品が発売されている


YashicaFlexの血統

Model

--------------------------

Pigeonflex 

Yashimaflex

Yashicaflex B

Yashicaflex A

Yashicaflex A-II

Yashicaflex AS

Yashicaflex S

Yashicaflex C

Yashica-A2

Yashica-C

MolfoReflex

Yashica-Mat

Yashica Rookie

Yashicaflex A-2

Yashica-A

Yashica Hi-Mec

Yashica-Mat

Yashicaflex AS-II

Yashicaflex A New

Yashicaflex B New

Yashica LM

Yashica 635

Yashica-Mat LM

Yashica-B

Yashica-D

Yashica-Auto

Yashicaflex A-III

Yashica E

Yashica-Mat EM

Yashica 24

Yashica 12

Yashica-Mat 124

Yashica-Mat 124G

販売

-------------

1953 Mar

1953 Oct

1953

1954

1954

1954

1954

1955 Sep

1955 Sep

1955 Sep

1955

1957

1956

1956

1956

1956

1957

1957

1957

1957 Jun 

1957

1958

1958

1958?

1958

1959

1959

1964

1964

1966

1967

1968

1970

終売

------------

1954 May

1954

1955

 

 

1957

1957

 

 

 

1956

1973

 

 

1969

1956

 

 

 

 

 

 1971

 

 

 1972

 

 

 

 

 

 

 

 1986

 


※各種資料からの判断のため実際とは異なっているかも知れません

※主な特徴

 B型およびその系譜:YashicaFlexの基本形

 A型およびその系譜:B型を基本とした廉価機

 C型およびその系譜:B型を基本とした高級機

 S型およびその系譜:セレン式露出系を内蔵

 E型およびその系譜:セレン式露出系を内蔵し自動露出

 AS型:セレン式露出系を内蔵

 LM型セレン式露出系を内蔵

 635型:6x6フォーマットと35mmフォーマット(135フィルム)兼用

 24型:Cds露出計を内蔵し220フィルム対応

 12型:Cds露出計を内蔵

 124型:12型を220フィルム対応

 Mat:オートマット機構を備えた高級機

 Rookie:6x6フォーマットと645フォーマット兼用の廉価機


TakeLens:Yashikor F3.5 80mm

いわゆるトリプレット

Matなどの高級機を除き当レンズが採用されている

富岡光学製

高級機に搭載されたLumaxar F3.5 80mm

構成図のとおりテッサータイプの3群4枚構成のレンズ

 

冊子「ヤシカMatオートマット写真術」では以下の通りその優秀さを存分にアピールしている

「投影解像力試験で中心部150本以上、周辺90本を下らない」また

「非点収差、球面収差ともよく補正されており、縦横の色収差もほどんどなく、その上、アンバー全面ハードコーティングがほどこされているので、カラー撮影にも正確な色描写ができます。

また絞りによる焦点移動はほとんどないので、f3.5~f22迄の絞りが十分に活用でき、国産レンズを代表するに十分な資格をもっているものです。」

※1957年4月発行